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 凱旋門とノートルダム寺院


パリの街並みを一望できる凱旋門。
その
周りは交通量が多く、車がグルグルと走っているので中に入って上るにはシャンゼリゼ通りのメトロ出口付近にある地下道を通って行きます。するとちょうど凱旋門の下に着くのです。

ナポレオンの命令で建てられたこの建物ですが、結局ナポレオン自身は生きているあいだにこの門をくぐることはなかったんですね。


画家ダヴィドが描いたアルプス越えのナポレオンは現在ルーヴル美術館でみることができますが、この作品はナポレオンを描いた中で最も有名なもので白馬にまたがるナポレオンはまさにヒーロー。
堂々と描かれています。

でもこれ、実際に乗っていたのはラバだったとか・・・?
ラ・・ラバって? ロバみたいなもんかな、と思いますがナポレオンはダヴィドの描く絵をこうして強く政治に利用していたそうです。
だから実際はラバだけど、それでは威厳がないってことでかっこよ〜く白馬にまたがる自分を描かせてみたり、またほかにもナポレオンがペスト患者を見舞っている、という絵などもありますが実際にはそういったことはしていなかったようです。

当時の絵の影響力は今のテレビや新聞と同じような役割だったので、政治的戦略に利用していたのですね。


凱旋門からみたパリの街

凱旋門のてっぺんにはエレベーターや階段で上ることができます。

ここからは、放射線状に伸びるパリの街が一望できます。
コンコルド広場やエッフェル塔、モンマルトルのサクレクール寺院までこの街の名所がいくつもみえました。




ノートルダム寺院

パリのシティ島にあるノートルダム寺院。

この聖堂は200年かけて完成した「ゴシック建築の最高傑作」と言われるだけのことはあって、その入口に近づくにつれてみごとな彫刻に圧倒される美しい建物です。

ノートルダム寺院に限ったことではないのですが、何百年も前の人々がこれだけの建物を造り上げたということ、気の遠くなるような細かい作業と歳月、それを思うといつも見るたびに感心してしまう。


それにしてもノートルダムってのはひとつだけじゃなくてあっちこっちに存在していてるんですね。

私は「ノートルダム」を地名か何かだと思い込んでいたので「ノートル」とは私たち、「ダム」とはマダム、そのままだと「私たちの貴婦人」ですが、つまり「聖母マリア」という意味だということを、このときに知りました。




ナポレオンは、このノートルダム大聖堂の祭壇の前で妻ジョゼフィーヌに冠をささげる場面も絵に残しています。
これもまた有名なダヴィド作「ナポレオンの聖別式」です。
ルーヴル美術館にあるその巨大な絵は2LDKのアパートほどある驚きの大きさ。
それに比べてモナリザを見たときの感想は・・・「ちっちぇ〜な!」。
あの小さな絵の前にはものすごい人だかりが出来ていて、厳禁のはずのフラッシュがパチパチたかれていました。
分厚いガラスの奥にあるモナリザは横からだとあまりよく見えないし、遠くからだと人の頭でいっぱい。
人気のある絵の周りにはとにかく人が多くてあきらめモードに。
でも2度目に行ったときにはガラガラだったので、タイミングですね。


話しは戻って、この大聖堂の中には直径10mの美しいステンドグラス「バラ窓」もあります。
私は日差しの強い夏に歩き疲れてヘトヘトになったとき、この聖堂の涼しさに救われました。
本当にフランスの夏って暑い。
でも乾燥していて肌はカサカサになります。


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