フランス歴史ろまん マリー・アントワネットの故郷
マリー・アントワネット
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 マリア・テレジア
マリア・テレジア


マリー・アントワネットの母、マリア・テレジアがどれだけ偉大だったか・・・

とその歴史を語るには長いので私にはもうお手上げです(笑)


マリア・テレジアは当時のハプスブルグ家に男子が生まれたなかったことによって事実上の「女帝」として23歳で父カール6世からハプスブルグ家を継ぎ、ハンガリー王、ボエミア王、オーストリア大公という称号を持ちます。

20年のあいだに16人もの子供を産み育て、また君主としても有能で、戦争と和平に明け暮れながらも40年ものあいだ君臨し続けました。


マリア・テレジアはこの時代では珍しく恋愛結婚をしたのですが、自分の娘はどんどん諸外国との同盟のために国外へと嫁がせたのです。
その嫁ぎ先は年齢やタイミングで決まるというもので、本当は姉のマリア・カロリーナがフランスに嫁ぐ順番だったのですが、その上の姉が亡くなったことでひとつ繰り上がることとなります。

マリア・カロリーナはナポリに嫁ぎ、フランスのブルボン家へはマリー・アントワネットが嫁ぐことに・・・

マリア・テレジアは生涯をとじるまで末娘のマリー・アントワネットの身を案じたけど、母の不安は的中。



オーストリアとフランスを往復したこの親子の手紙、とても赤裸々でそんなことまで書くのかい!と驚く内容もあるけれど、マリー・アントワネットの性格をわかっている母の気持ちが伝わってきます。

「このままでは不幸になる」

それでもまさか娘が断頭台行きになるなんて思ってもみなかったでしょう。
その悲劇的な最期を知ることなく世を去ったことは救いだったのか、でも女帝が生きていてくれたら、マリー・アントワネットの運命も変わっていたかもしれません。



ナポリに嫁いだマリア・カロリーナは母のように多産だったそうです。
理性があって母の言いつけを守り、マリー・アントワネットとは性格もだいぶ違ったのでしょうかね。

またしても歴史に 「もしも」 はない、ないけれどちょっと想像してしまいます。
もしマリア・カロリーナがフランスに嫁いでいたらどうなっていたのかな?と。







マリー・アントワネットは母親にはあまり似ていなかったと言われているけど、女帝は愛する夫亡き後は生涯喪服で過ごし、宝石も身につけず、しかしその寂しさを紛らわすために宮殿の内装をあっちこち変えていたそうです。

その費用がだんだんと増えていき、しまいには倹約家の長男ヨーゼフ2世に「母さんいい加減にしてくれ」、と注意されたとか。

寂しさを紛らわすための浪費、ヨーゼフ2世に指摘されてるところってマリー・アントワネットとそっくりです。
マリア・テレジアにそういった一面が見えたことで、やはり親子なんだなと感じました。



マリア・テレジアは食べることが大好きで、食べ過ぎで晩年は歩くことも満足に出来なくなったようです。

医者は心配して、
「あなたは一日に、こんなにもすっごい量を食べている!」
と女帝が食べる量の食事を樽に入れて見せたといわれています。


それを聞いて私は以前見たテレビ番組を思い出したのですが、暴食の結果マリア・テレジアは階段に備え付けられた車椅子を使わなければ上り下りができないほどになっていました。

あまり飲み食いには関心がないマリー・アントワネットとはやっぱり似ていないのでしょうか。





カプチーナ教会の地下納骨所

ウィーンの街にあるカプチーナ教会。

ここは皇帝納骨所、または帝室納骨堂と呼ばれるハプスブルク家の地下墓地がある場所です。


建物右手にあるガラス張りの入口を通って下りると、中はひんやり、ただづらりと棺が並んでいます。
しかも棺の上や前に、がい骨がいっぱい・・・

ヨーロッパ様式の棺、ハプスブルク家という一家の歴史をたどると思えば慣れてしまうけど、ここが日本で、墓石が地下にがい骨と一緒に並んでいると考えるとその光景はなんともいえません。



静かに進んでいくとずっと奥に一際目立つふたりの男女の彫刻があり、それがマリア・テレジアの棺でした。

天使を真ん中にして向かい合っている男女は、夫のフランツ・シュテファンとマリア・テレジアです。
再び目覚めたときに一緒でいられるように・・・とふたりの仲の良さをあらわしているようです。
そのすぐ手前は長男ヨーゼフ2世の棺。


ごく最近のお墓もあって、ハプスブルク家って今でも絶えていないんです。
それも子だくさん家系のまんま続いていってるらしいのです。


最後の皇帝フランツ・ヨーゼフとエリザベートのお墓はやはりエリザベートファンが多いのか、特別扱い。
そこだけはガラス張りで守られていました。

謎の死をとげた息子ルドルフ皇太子と共に、今は親子3人で静かに並んで眠っています。


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