フランス歴史ろまん | フランスぶらり | |||
シュノンソー城と王妃カトリーヌ・ド・メディチ | ||||
フランスの城というとヴェルサイユがあまりにも有名で、実際にフランスを旅するまではこのロワール地方にある数々の美しい古城にはあまり興味がありませんでした。 だけどノスタルジックなルネサンス様式のこの地方の城はヴェルサイユのような華美な感じがなく、のんびりと散歩が出来る庭園があって静かな城内をじっくりと見学することができます。 余裕があって何度も足をはこべればいいのですが、あまりにたくさんのお城があるために一度でいくつもの城めぐりをすることは難しいですね。 実際に立ち寄る城は候補を絞っていくと良いと思います。 交通機関が整ってるとは言えないので個人で行くにも一苦労しそうです。 本当に素敵な古城がたくさんあるのでお城好きにはたまらない場所なのですが、それぞれに距離があるのでたくさん見るにはそれだけ時間も必要です。 パリから離れたこういった静かな町もいいもので、このロワールの街で入った小さなビストロ(日本でいう定食屋)の肉やスープが本当においしくて、大満足でした。 |
||||
|
||||
シュノンソー城はロワールの古城ツアーのなかでも、実際に中まで見学できることの多い城のひとつです。 「ロワールの古城見学」といっても、ツアーだと中に入ることが出来るのはひとつかふたつで、あとは外観を見るだけとかバスの中から通り過ぎるお城をザ〜っと見て終わりというのが一般的だと思います。 この城は王アンリ2世の妻カトリーヌ・ド・メディチと、愛人ディアンヌ・ド・ポワチエのふたりの女性それぞれのためにつくられた庭がとても印象的です。 このふたりはまるっきり違うタイプだったようですが、アンリ2世はカトリーヌと結婚していながらも実際にはディアンヌとの愛人関係を死ぬまで続けたということです。 ひとつの城に妻と愛人が住み、それぞれの庭が対照的に存在するなんて信じられませんね。 政略結婚があたりまえの時代で王に愛人がいるのも当然だろうけど、その存在を隠すどころか逆に妻よりも堂々とふるまっていたかもしれなくて、いつも公けの場で王のそばにいるのは愛人というのも不思議な感じがします。 いくら名ばかりの夫婦とはいえ、やっぱりカトリーヌがちょっとかわいそう。 |
||||
愛人のディアンヌはとても美人だったらしいし、カトリーヌも気分いいものではなかったと思います。 アンリ2世は事故で亡くなってしまうのですが、王の死後にカトリーヌはディアンヌをさっさと追放してしまいます。 それはまぁ当然といえば当然なのですが、カトリーヌはさらに「ディアンヌの橋」と呼ばれた庭の橋の上に回廊を建てさせたのです。 でも庭は踏み潰さなかったようで、花には罪がないというかさすがにそこまではしなかったんですね。 白と黒のタイルが張られた回廊は、18の窓があってそこから光が射し込むようにできています。 舞踏会の舞台ともなったこの回廊ですが、第一次世界大戦の頃には軍用病院となり、たくさんの負傷兵たちがここに運びこまれたそうです。 |
||||
シュノンソーの城には厨房もきちんと再現されていました。 台所の壁にはフライパンがたっくさんぶらさがっていて調理器具もそろっています。 パンを焼くための窯などもあり、なかなか興味深い部屋です。第一次世界大戦に病院として使用した頃には新しい設備が加えられたそうです。 |
||||
|
||||
アンリ2世の死後、息子のフランソワ二世が即位するのですが、実際の支配者であったカトリーヌ・ド・メディチはかなりの独裁ぶりだったようです。 占いなどにもとても凝っていたようで彼女が呼び寄せた占星学者のなかにはあのノストラダムスもいました。 ノストラダムの予言どおりに彼女の息子三人は次々と王座につきましたが、不幸にも三人とも若くして亡くなってしまいます。 病弱であったこともありますが、中には母カトリーヌによって毒殺されたなんて話しもあるくらいで恐ろしいもんです。 当時は宗教戦争のまっただなかであり、残酷な歴史「サン・バルテルミーの大虐殺」を実行させたのもカトリーヌドメディチです。 ちなみにこのカトリーヌドメディチの娘にはあのイザベル・アジャーニの映画『王妃マルゴ』でご存知のマルゴがいます。 マルゴという女性も映画になるくらいなのでまたすごいんですけどね・・・ でも、幼いころに大虐殺を目にしたり母親は黒ミサだの毒だのってやっているわ、兄は奇妙な死に方をしたりとマルゴが正常な神経を保つのは難しいものだと思います。 |
||||
|