フランス歴史ろまん Marie Antoinette
マリー・アントワネットについて 
マリー・アントワネット
について

フランス王妃
あだ名は「赤字夫人」
革命と逃亡
裁判、そして断頭台へ
年表
マリー・アントワネットは
悪女!?
マリー・アントワネット
追っかけの旅

ヴェルサイユ宮殿 1
ヴェルサイユ宮殿 2
ヴェルサイユ宮殿 3
プチトリアノンとアモー
コンシェルジュリー
コンコルド広場
フランスぶらり
あの人・あの街

凱旋門とノートルダム寺院
ルーアン
シュノンソー城
オーベルシュルオワーズ
モンサンミシェル
エッフェル塔
マリー・アントワネット
の故郷
ウィーン
マリア・テレジア
離宮シェーンブルンと
ベルベデーレ
王宮家具博物館 1
王宮家具博物館 2
  マリー・アントワネットは悪女?
   完全に持論です。歴史に物申すつもりではございませ〜ん!
マリー・アントワネットの胸像

私がマリー・アントワネットを最初に知ったのは、アニメ 「ベルサイユのばら」だったと思います。
ベルばらのキャラクターの中でもマリー・アントワネットが一番好きで、絵の上手な友達に、マリー・アントワネットのようなお姫様をノートによく描いてもらっていました。
あの巻き髪もドレスもとっても綺麗に描いていたことが記憶に残っています。


でもこれほどまでに興味を持つきっかけになったのは、それからかなり年月が経ってからのこと。
本屋でたまたま目についたシュテファン・ツヴァイクの「マリー・アントワネット」が気になり、そこで買ったのですが、上・下巻でかなり文字もビッシリだったためしばらくは寝かせておくことに・・・
それから職場が移って通勤時間が長くなったことをきっかけに、ようやく読み始めました。
ツヴァイクの描写に「まえがき」を読んだ時点で一気に引き込まれ、もう夢中で読んでしまいました。

歴史の端役でしかなかったであろう人物が運命によって想像もしない試練を受け、一気に悲劇のヒロインに押し出され、苦悩のなかで変わっていきそれまでとはまったく別の姿を現す。

「不幸のうちに初めて人は、自分が何者であるかを知る。」
自分自身を超えて成長し、最後の瞬間に、悲劇の域についてその運命と同様に偉大となる。
そんなツヴァイクの書き方はちょっぴりマリー・アントワネット擁護的、愛情をもってドラマチックに書かれているのでもうすっかりハマッてしまったのです。

私はその後もマリー・アントワネットに関する本をとにかく読みあさっていたのですが、ツヴァイクとは違ったマリー・アントワネットに対する見解や、そこから切り離せないフランス革命やヨーロッパの歴史などにも興味が広がっていきました。





革命はもちろんマリー・アントワネットが王妃であったからとか、それだけで起きたわけではないでしょう。
ただ、時代はある意味でマリー・アントワネットを主役に選んだのだと思います。

王妃になったマリー・アントワネットはまず18世紀ロココの女王という役に選ばれ、相当のオーラがあったでしょうから人々の興味を引き、憧れの的になります。
ものすごい人気があったわけですから、若いマリー・アントワネットが調子に乗ってしまうのも仕方がなかったようにも思います。

生まれ育ちは超名門のハプスブルグ家、そして幼くしてフランスブルボン家へ嫁入り!
とそこだけ聞けばちょっと羨ましいくらいのお嬢様街道をまっしぐらです。
しかし彼女がたどり着いたヴェルサイユ宮殿、そこは相当異質で、当時の貴族社会というのは非常識と非日常の世界で、庶民の世界との差があまりに違いすぎて呆れてしまうほどです。
プチトリアノン

そんなヴェルサイユでマリー・アントワネットはそれはもうやりたい放題するのですが、親元離れた異国の地、孤独、仕来たりばかりの毎日、同じことの繰り返し・・・

彼女の性格を思うと、本当にやることがなくて狂いそうだったのでしょう。


退屈なこの現実から逃れたい、逃れたい・・・
そうだ、遊ぶしかない!
王妃になってからのマリー・アントワネットの浪費っぷりはほんとにスゴイものです!
もし誰かが「それって税金なんだよ」って言ってあげたとしても、きっと遊んで暮らすことが自分の仕事なんだと本気で思っていたのかもしれません。
当然、それがフランス国民から反感をかってしまったわけですが。



でも、それまでのツケを全部マリー・アントワネットに負わせるのはちょっと気の毒ではないかと思うのです。
ルイ15世の愛妾デュバリー婦人も「税金を飲み込む第2のポンパドール」と言われるほど贅沢をしていたし、だいたいプチトリアノンでマリー・アントワネットと遊びほうけていた取り巻き連中はどうでしょう?
それまでさんざん王妃にパラサイトしていたのに革命が起きると共にそそくさ国外へ亡命してしまいました。
どうもマリー・アントワネットとつるんでいたのは外国人が多いようですが、マリー・アントワネットはやはりフランス人が嫌いだったのでしょうか?





極限状態の国の本当の姿はパリにあり、あの頃すでに貴族の華やかな時代は末期状態であり、何か変化を起こさなければならない時代に、誰かがその「原因」でなければならない。
ちょうど浪費家の外国から嫁いできた王妃がいた。
本当のこともあるだろうけど、でっち上げもある。
何が事実でも、何が嘘でも、とにかく悪者は王妃、オーストリア女。
そして自由きままにプチトリアノンとアモーで暮らしていたマリー・アントワネットの生活は、ある日突然終わりを告げられます。

革命によってこれでもかこれでもかという悲劇に追い込まれ、ついにひとりの人間が受けるにはあまりにも酷な運命を背負って、歴史の主役になり、何事も真剣に考えることなく薄っぺらに生きてきた魂が目覚め、その内面が変化し成長する。

といっても、マリー・アントワネットには罪の意識は最後までなく、変わろうとしている「時代」に逆らい続ける、その辺りはどうしようもなく哀しい思いがします。
何があってもプライドの高さが変わらず、民衆との共存も出来ず、逆に自分はフランス王妃だと真に自覚したことによって、より一層ハプスブルク家の誇りだけは増して、どんどん時代の流れと逆方向に走る。
何に対してもいつだってブレない、わからずやな性格ですが貫く芯のようなものがあるところがマリー・アントワネット」の大きな魅力でもありますが、誇り高き貴族とは視野が狭く、なんたって柔軟性がないなと思ってしまいます。


政治に感心などなかったのでしょうが、王政が崩れていく前に何か自分自身の立場に目覚めるきっかけがあったら、革命こそ防げなくても彼女の人生は変わっていたのではと思います。
終わることのない苦しみの中で、本当に肝が据わったという感じで驚くほどの変化が見えただけにとても残念です。





華やかな生活から一転、ヴェルサイユを追われチュイルリー宮殿へ。
ヴァレンヌへの逃亡、タンプル塔での幽閉生活。
そして最後に過ごした場所は死の牢獄コンシェルジュリー。

パリのシティ島にあるコンシェルジュリーに行ったとき、変わり果てた姿のマリー・アントワネットが描かれた大きな絵があり、衝撃を受けました。
とてもリアルで写真のようだったので、私の目に焼きついています。
コンシェルジュリーを出るマリー・アントワネットの絵は見たことがあったけど、そんなふうに神聖化されたものではなく、当時はコンシェルジュリーを訪れるまでその絵は見たことがありませんでした。
長い幽閉生活ですっかり老婆のようになったと言われる姿は、今まで自分が想像していた以上で、「ん? 誰コレ・・・もしかしてアントワネット?」と目を疑うほど。
本当にこんな姿だったんだろうかと思うと、悲しくて胸が痛くなるほどでした。

立ち止まっていつまでも凝視してるなんてのは私だけでしたが(本当にちょっと絵がコワイ)
ドレス姿の華やかだった頃のマリー・アントワネットを思い浮かべると、数年の間にどれだけの不幸が襲ったらこんなにも変わり果ててしまうのかと、考えさせられるほどその姿はあまりに違う別人でした。


マリー・アントワネットという人物がフランス王妃として良いか悪いかは私は問わず、ただ彼女の人生に興味をもったことで歴史が好きになり、そして世界が広がりました。
革命がなければ、マリー・アントワネットも贅沢をした王妃や愛妾のなかの一人というだけで、歴史に名を残すほどでもないその他大勢だったに違いありません。
肖像画にしても今も倉庫の中に眠っているだけか、飾られてもハプスブルク家から嫁いだ王妃ということぐらいの存在でしょう。
何より、私が歴史に興味を持つことがなかったかもしれません。
ちょっとセンスの良い服を着ていたって、すごい美人じゃないけどなにか惹かれる顔だって、革命と時代によって不幸へと突き落とされ、その運命に揺り動かされるマリー・アントワネットがいなければ、ここまでの興味はもてていない。


悪女といわれる歴史上の人物の本もよく読みましたが、これがまた何とも恐ろしい人でいっぱいで、それに比べるとマリー・アントワネットの性格自体は本当に朗らかで健全に思えます。


私にとってマリー・アントワネットという人は実際の出来事に加え、つくり出されたイメージとが混ざり合って、「実際にはどんな人だったんだろう」と」想像力が無限に尽きることなく膨らみ、その人間味のある内面外面すべてに魅力が感じられ、もう200年以上も前に生きた人物になんだかずっと片思いをしているような状態です。
この先もこれ以上に興味を持つ歴史上の人物にはなかなか出逢えないような気がします。





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