フランス歴史ろまん マリー・アントワネットの故郷
マリー・アントワネット
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 離宮シェーンブルンとベルベデーレ
シェーンブルン宮殿


ウィーン郊外にあるシェーンブルン宮殿。

マリー・アントワネット自身もここで暮らしていたことと、ヴェルサイユと同じような造りなのでこの宮殿をメインに足を運ぶ観光客も少なくないのですが、ウィーンのリンク内にあるホーフブルク宮が生活の中心で、こちらは夏の離宮としての役割でした。


オーストリアでは断然、母親のマリア・テレジアが主役です。
「マリー・アントワネットの部屋」や肖像画などもあるのですが、やはりマリア・テレジアとその家族の宮殿、という感じでマリー・アントワネットについてはそれほど期待できるものはありません。


でもマリア・テレジアの大きな肖像画の横にさりげなくマリー・アントワネットの胸像があったりするので、この宮殿はマリーアントワネットを探せ!みたいな感じで楽しむことができるかもしれません。

オデコが出ていて面長のあの顔がとっても特徴的なのでわりと見つけやすいです。





「祝典の間」という部屋に「王宮での歌劇上演」という大きな絵があるのですが、その中にもマリー・アントワネットの姿が。
最前列中央には両親、そしてマリー・アントワネットは右端の2人目、まだ少女です。
そこから10列ほど後ろの右端にはなんと少年時代のモーツアルトがいてこれはとても興味深い絵でした。



シェーンブルン宮殿にはとても家庭的な雰囲気がちらほらと見えるのです。
陶板に焼き付けた絵が何枚も壁一面に飾られた部屋には、マリー・アントワネットに関する本に出てくる見覚えのある家族の絵がいくつもありました。

実はそのほとんどは娘たちが描いた絵だったんですね。
マリー・アントワネットが描いた絵があったのか、また彼女に絵の才能があったかどうかは不明ですが。



この宮殿は実際には入れない部屋もガラス張りにして隣接した部屋から覗けるようになっていたりするのですが、食卓を再現している部屋のテーブルには美しい食器やグラスがぎっしりとキレイに並べられていて、それを見たらリカちゃん人形のダイニングテーブルを思い出しちゃいました。
懐かしいです(笑)

宮殿のテーブルに置かれている銀食器やグラスはとても豪華で綺麗にびっしりと並べられています。


シェーンブルン宮殿はヴェルサイユに影響を受けてそれ以上に立派な宮殿を建てようと意気込んだのだけど、結局費用の都合で大幅に制限されてしまったそうです。
でも十分立派な宮殿で、私はこちらのほうが鏡の間をはじめ全体的にヴェルサイユよりはスッキリしていて好きです。


マリー・アントワネットのセンスも今でも通用するくらい良いけど、それはやはり品の良さだろうか・・・?
でもでっかい髪型の上に船を乗せたり、突拍子もないファッションもしているのも事実ですね。
ヴェルサイユではそちらがウケてしまったものだから、若い頃のマリー・アントワネットはベルタン嬢と奇抜なアイデアを出すことが楽しくてしかたがなかったみたいですけどね。

プチトリアノンの内装や使っていた食器などを見るとマリー・アントワネットは色使いがとにかくうまくて、好んでいた小花の模様もすごく趣味がいいです。
このセンスの良さは母親より父親から譲り受けたものかもしれませんね。



一日中かけてじっくり見たかったのですが、ウィーンは本当に駆け足の旅だったのでここだけに時間をかけることが出来なかったのが残念!名残惜しかった。


この宮殿は内部の写真撮影は禁止でした。



ベルベデーレ宮殿正面

ベルベデーレ宮殿。

日本の赤坂離宮はこのベルベデーレをモデルにしたそうです。

宮殿の中はクリムトの作品などを集めた美術館になっているのですが、このときはひっそりとしていました。



マリー・アントワネットがこの宮殿と同じ名前の見晴台をプチ・トリアノンのそばにつくらせ、その辺りをプチ・ウィーンと言っていたらしいのですが、意外にもこの宮殿がウィーンの中でもひときわ美しい建物だったのでとても感慨深い気持ちになりました。


このなんともいえない穏やかな宮殿と庭は、マリー・アントワネットの残酷な運命とはあまりに対照的な幸せな子供時代を想像させます。

マリー・アントワネットはハプスブルグ家の皇女だった、そして故郷を愛していた。
結局フランス人にはなりきれなかった、としてもそれは仕方のないことだと思えてしまう。
他国との政略結婚なんてなかったら・・・とまた私がそんなこと思ってもしょうがないのですが、ウィーンで家族と暮らしていた頃のマリア・アントニアは本当に幸せだったと思うのです。



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