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マリー・アントワネット
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 オーベル シュル オワーズ
          〜ゴッホの眠る街〜
オーベルシュルオワーズの街


1890年の5月、オランダ生まれの画家フィンセント・ファン・ゴッホは汽車でこのオーベル・シュル・オワーズに降り立ちました。

いつも彼の支えであった弟のテオがすでに精神を病んでいたゴッホを心配し、友人としても医者としてもゴッホを診てくれる人物を探したところ、兄弟の友人である画家のピサロがこの街に住むガッシュ先生を紹介してくれたのだそうです。
弟テオはゴッホが画家になることを決心したときも、その支えとなり経済的にも支援し続けました。
ゴッホはテオを頼ってパリで生活を始めたことによって、ロートレックやゴーガン、ピサロらと出会い交流を深めていきました。
モンマルトルには当時の画家達が集まったカフェや描かれた風景を今も見ることができます。








ゴッホというと代表作の「ひまわり」や「アルルの跳ね橋」など、日本で高い人気を誇る画家のひとりですが、その作品が生前に売れることはほとんどなかったようです。


牧師の子として生まれたゴッホは画商の職を経て宗教家をめざすのですが、自分の考えと現実の世界とのギャップに苦しみ挫折します。


その後ゴッホは自分の思いのたけをキャンバスに表現するようになり、やがて画家の道へと進むようになったのですが、ゴッホが絵を描き始めた頃の作品は「ひまわり」などの情熱的な作風とは違い、当時の労働者や農民の日々の暮らしを描くことが多く、ありのままの現実とそこで働く人々の姿をかなり重いタッチで表現しています。

宗教家としては挫折を経験したゴッホでしたが、そういった人々の日常、日々真面目に生活をする庶民の暮らしを描くことが自分の使命だと感じ、絵の世界に没頭していったのです。



時は進み世の中に明るい光が差し込み始めたころ、絵画の世界も暗闇から光へと印象派の時代が幕を開けていきます。

ゴッホはその頃、フランスに住む弟テオのいるパリで暮らしながら絵を描き続けていました。
パリの生活はゴッホの画家としての情熱をさらに燃え上がらせるような多くの仲間との交流があり、その感情が時代の光とともに彼の絵に徐々に現れ始め、私たちの知るゴッホの世界が広がっていきます。


仲間たちの影響を受け熱心に絵を仕上げていったゴッホでしたが、私生活では恋愛に疲れ果て、お酒の量も増えていったようです。
現実逃避するかのように、ゴッホは夢見る世界ユートピアを目指して光り輝く南仏の街アルルに移り住みます。



1888年には友人である画家のゴーガンをアルルで迎えるのですが、強い個性を持つ2人は激しくぶつかり合うようになり、もともと感情の起伏の激しい性格の持ち主であったゴッホですが、この頃のゴッホの精神状態はかなり不安定になっており、心に深い闇を抱えてしまっていました。


そしてついに、「耳きり事件」が起きてしまいます。
ある日、発作を起こしたゴッホは路上でゴーガンに切りかかろうとしますが未遂に終わり、数時間後に自分の耳たぶを切り落としてしまうのです。
ゴーガンはアルルを去ってしまい、ゴッホは病院へと収容されます。

その後は退院して作品も仕上げますが、サン=レミの精神病院へ入院し、ここでもたびたび発作を起こします。


ゴッホはその後一度パリに戻りますが、転々とした彼の人生の最後の地となったのがこのオーベル・シュル・オワーズの街でした。


ラヴー亭

オーベルの駅近くにあるラヴー亭。

この建物の屋根裏部屋にゴッホは住んでいました。
ゴッホが描いた「オーヴェルの教会」もこの近くにありました。


オーベルを気に入ったゴッホでしたが今度はたびたびガッシュ先生とも衝突するようになり、重ねて弟テオが自分への経済的支援が苦痛であると言ったことを耳にし負い目を感じます。

1890年夏、銃を持ち出したゴッホは自らの手で胸を撃ち、そのまま部屋に戻りますが駆けつけたテオに見守られながら息を引き取ります。

オーベルのゴッホの墓地には兄の後を追うようにして亡くなったテオが並んで眠っています。
静かな墓地にあってつる草で覆われた一見簡素なお墓なのですが、何故かこれまでみたことのないほどの美しさが感じられます。
そして墓地のまわりにはゴッホが描いたあの麦畑が広がっています。




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