フランス歴史ろまん |
Marie Antoinette マリー・アントワネット追っかけの旅 |
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コンコルド広場 -革命広場の跡- |
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コンコルド広場は、もとは「ルイ15世広場」と名づけられ、ルイ15世の騎馬像が設置されていました。 しかし革命期には騎馬像は取り壊され、かわりにギロチン台が置かれ「革命広場」と名を変えます。 多くの人々がこの場所で命を落とし、その数は1200人とも1300人とも言われていますが実際はそれ以上ではないかと思います。 貴族や王制支持者はもちろん、分裂していく革命派や反革命を口にした一般の市民にまで断頭台の歯は次々とすべり落とされました。 ギロチン台の置かれていた場所はルイ16世の時には現在あるオテル・ド・クリオンを背にしてオベリスクの向こう側あたりに、マリー・アントワネットの時はチュイルリー公園の方角、ということで何度か移動していたようです。 豪華な馬車で何度も夜のパリへ遊びに行っていた頃とは違い、マリー・アントワネットは後ろ手に縛られてボロボロの荷台でこの広場まで運ばれました。 |
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あまりにたくさんの血が流れたこの広場が再び名を変え「コンコルド(調和)広場」となったのは1795年。 今ではルイ15世の騎馬像やギロチン台とはかわって、1836年にエジプトから贈られたオベリスクが建っています。 人も交通量も多く、コンコルド広場の延長線にはシャンゼリゼ通り、凱旋門、反対側にはチュイルリー公園、ルーヴル美術館が続いています。 チュイルリー公園は、革命期にヴェルサイユからパリへと連れ戻されたルイ16世一家が暮らしたチュイルリー宮殿の跡地です。 建物はルーヴルに一部残っているだけなので本当に残念・・・ そのチュイルリー宮殿がどうやら再建されるという話しを聞いたのですが・・・ それ以降は何も聞きません(泣) もし実現するなら革命当時の様子や王一家の暮らしぶりを再現したりしてほしいのに! ※チュイルリー宮殿の再建が実現した場合、ルーヴル美術館の作品をより広いスペースで展示する目的と考えているということのようです。(現在もルーヴルには当時のチュイルリー宮殿の一部がつながって残っています) 国王一家が生活していた当時の様子を再現するという話しではないようで残念。 |
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