フランス歴史ろまん Marie Antoinette
マリー・アントワネット追っかけの旅
マリー・アントワネット
について

フランス王妃
あだ名は「赤字夫人」
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マリー・アントワネット
追っかけの旅

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-マリー・アントワネットの離宮-

ヴェルサイユ宮殿とは対照的で、プチトリアノンはとてもこじんまりとしています。
部屋数も数える程度ですがとっても落ち着く場所です。


ヴェルサイユ宮殿から離宮のプチトリアノンへは庭園を歩いて行けますが、距離があるので、プチトランという乗り物を利用するとよいと思います。
冬に一度馬車にも乗ったことがあってこちらのほうが気分を味わえますが、馬が途中で止まってしまったんです・・・用をたすために。



プチトリアノン

ルイ十六世がこの離宮をマリー・アントワネットにプレゼントして以来、マリー・アントワネットはお気に入りの仲間達だけを集めてここでひきこもりになってしまったようです。


実際に足を運ぶとヴェルサイユ宮殿よりこのプチトリアノンを愛し、ここでの生活を望んでいたマリー・アントワネットの気持ちがなんとなくわかるかもしれません。


ここは本当にマリー・アントワネットが自分の家を持つという夢をかなえた場所だと思います。
「マリー・アントワネットの離宮」ですが、実際のマリー・アントワネットはヴェルサイユよりプチトリアノンを本宅にしていたわけですね。

夫のルイ16世もマリー・アントワネットのお許しがなければ、プチトリアノンを訪問することができなかったそうです。
お金だけは出してね、でも傍にいなくていいから、できるだけ邪魔しないでねって感じでしょうか。





親しい仲間とお茶をしたり音楽を奏でたり、もう好きなことしかしなくなってしまったんですね。
同時に革命は一歩一歩近づいていたのに、そのことに気づかなかったというか気づこうとしなかったというか、とにかくここはヴェルサイユという「現実」とはとてもかけ離れているのです。

でも普通の感覚なら、やっぱりこの離宮のほうが落ち着くはず。


マリー・アントワネットにとってはプチトリアノンこそが「自分の家」、「自分の部屋」だったので内装も全て彼女の好みや気分で変えていたそうです。

このプチトリアノンと庭、とても素敵です。
やっぱりマリー・アントワネットはとても趣味がいいのです。
この時代であってもまったく違和感がありません。
一晩でいいから泊まらせてほしいくらいです。




ブルーの部屋はちょうど庭園へ下りる階段につながっているので、この部屋からさささ〜っと下りれば、表から出ずにアモー(王妃の村里)の方へぬけられます。
そして外からは中の様子がわからないように、窓にはなんと移動鏡が。
ここは王妃とかなり親しい者しか入れなかったんじゃないか?という感じの部屋です。

別の部屋には、厨房から食事をテーブルごと上の部屋に移動できる装置を備え付けたそうで、誰の目にも触れずに誰かと食事ができたというわけです。

このプチトリアノンは、プライベートを保つことを念入りに考えて改築していったのでしょう。


すべて自分の自由にできるプチトリアノンに住んでしまったマリー・アントワネット。
もうヴェルサイユの生活には戻れません。


ドイツのノイシュバンシュタイン城の主人だったバイエルン王ルードヴィヒ2世が、こういった仕掛けをそのまま真似てしまって、プチトリアノンを意識した城を造らせたりと大変だったらしいのです。
ルイ14世やマリー・アントワネットをリスペクトして、そっくりさん像まで置いて語りかけていたとか・・・
ちょっとマリー・アントワネットとは違った意味で、困った王様だったようです。




寝室の奥にバスルームもありました。
お風呂に入る習慣がほとんどなかったという当時のフランス。

マリー・アントワネットはお風呂大好きだったということですが、ヴェルサイユでは当然ひとりでゆっくりというわけではなく、侍女やら宮廷人の前での入浴が当たり前だったのでしょう。

???

このトイレは1793年頃にシャンティイの宮殿から押収されたものだそうです。

映画では部屋でおもいっきり用をたしているマリー・アントワネットを見たのですが、当時は持ち運び可能なトイレが主流だったのでしょう。

プチトリアノンでこの備え付けられたトイレを見た時はなんだか妙に感激しました。







王妃のアモー

王妃の村里アモー。
ヴェルサイユ宮殿、プチトリアノンを見学して、ヘトヘトになってもあともう一歩、この村里「アモー」まで歩いてほしいのです。

ここでのマリー・アントワネットは服装も簡素にし、わざと貧乏ったらしい農村や家を建てて牛や羊まで飼っていました。

田舎暮らしごっこをしてたわけなんですが、マリー・アントワネット自身が汗水たらして作業していたわけではなく、気が向いた時にちょっとバターづくりしてみたり、ようするに「ままごと遊び」をしていたようです。
おもちゃではなくて実物大ってところがマリー・アントワネットのすごいというか、世間知らずなところです。



その莫大な費用がいったい何処から出ているのか、民衆がどんな暮らしをしているのか、
マリー・アントワネットが一度でもそのことを深く知ろうと思うことがあったら、彼女の人生も少しは変わっていたと思います。

真似をするくらいだから、決して貧しい庶民の暮らしを知らなかったはずはないと思うのですが、なぜ、どうして、革命が起きてからでさえ、民衆と共存していこうと思わなかったのだろう。
責めるというよりそのあたりは一般庶民には本当にわからない感覚ですが、フランス王妃以前にハプスブルク家の高貴な血がそうさせるのかとわりと本気で考えてしまいます。



ここは夏に来ると開放的でなんだかウキウキするマリー・アントワネットの気持ちがわかりますが、冬に来たときは人もまばらで木立も枯れていて本当に静かです。

造られたこの世界でひとりの時間も過ごしていただろうマリー・アントワネットを想像するととても悲しい。
何度も訪れたくなるとってもステキな場所なのに。
ヴェルサイユ宮殿よりこっちの方が何倍もステキなのに。

それは、この穏やかさとはあまりに対照的なマリー・アントワネットの最期を知っているから、なんとも虚しい世界に見えるのかもしれません。


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